11月1日は岩手県秋季陸上

岩手県陸上競技場

11月1日は、いよいよ秋季大会。試しで出てみた先月のレース(仙台の区民記録会)は運動会のお父さん状態だったので、今回は、もう少しまともに走れるようにと思ってますが、練習不足で・・・。

40歳になるに当たり、何か?に挑戦したい!ということで選んだ陸上競技。しかも100m。実は現役時代(高校生)の種目は400mHでした。100mは高校1年生の県民体育大会(国体予選)の少年B100mが最初で最後のレースでした。

高校浪人して入学し、その時から始めた陸上競技でしたが、環境にも恵まれ、すぐの大会で結果は5位でした。確かタイムは11秒7位だったと思います。

1991年か1992年どっちだったか忘れましたが、県民体育大会少年男子B100m決勝。

1位・・・T君(盛岡南)

2位・・・W君(水沢工)

3位・・・G君(専修大北上)

4位・・・T君(盛岡第三)

5位・・・私(盛岡南)

・・・だったと記憶。

その後のレースはというと、100mの出場枠が無く(先輩も後輩も強い選手がいたため)顧問のA先生から400mHに転向を進められました。以降、卒業までは400mH専門でした。そのお蔭で高3時には県高校総体400mHで優勝することが出来ました。が、やはりトラック競技の花形、100mに、心のどこかで未練がタラタラ・・・。

というのは建前で、本音は【400なんて走れませーん!】

ということで、一度は挫折し、健康陸上としての再チャレンジですが、当時をイメージして20年ぶりの岩手県営陸上競技場で100mを走ってみようと思います。

20年前(1991~1994)陸上スパイクの話

ランバード

今からさかのぼる事、20年前の懐かしい陸部語。

【ミズノ】スーパースター・ランバード・スーパーアスリート

【アシックス】レコーダー・GONA

【アディダス】エキュップメント・トルション・アクセレーター

【その他】サロメチール軟膏・ゲーターレード・カールルイス・リロイバレル・マイケルジョンソン・第1コース・位置についてよーいパン

今の子たちには?????なワードかもしれませんがアラフォー世代は皆、知ってるワード(笑)

当時、私の愛用スパイクは2種ありました。ちなみにミズノ派(当時でいえばランバード派)

当時の人気スパイクと言えば、なんといっても『レーシングスター100S』で真っ白いボディーカラーに確か?水色か赤のラインが選べて、おそらくスパイクではこのモデルから生まれたといっても過言ではない『ヒモ+ベルト』使用がとてもかっこよかった。

私の愛用スパイクは、これではなく『ランバードレーシングスター91?』 確かこんな名前のstep限定のスパイクでした。当時もstep限定はあったのです。(アップルはなかったかな)真っ白いボディーにシルバーライン+オレンジ縁のマークは市販されていないラインで、かなり目立っていたと思います。しかも当時最先端のベルト付。かかとの外側には刺繍まで入っていました。確か注文から3か月待ちで手に入れたスパイクでした。

その後、『アディダスMD』・『ナイキZOOM?』など試しましたが、足に合わず新たにランバードスパイクを購入をすることに・・・。高校3年時は、ヨンパ(400mH)専門でやっていたので、ソール(かかと部分)が柔らかいタイプの『ランバードスーパーアスリート』シリーズにしました。ベルト無しだったのが少し不満でしたが、今ほど種類も豊富ではなかったので・・・。それでも、ライン別注にし、我が盛岡南高校カラーの『黒×オレンジ』で仕上げてもらい納得の一足でした。(ライン別注サービスもこの頃からかな)

当時は世界陸上東京大会後という事で、この時期から始まった事も多かった気がします。

例えば、『ロングタイツ・ハーフタイツ』『固定ピン(カールルイスモデルのセラミックピン)』などもこの頃からでした。今でこそ『レーシングウエアー・タイツ』で女子なんかだとセパレートが当たり前になってますが、当時は全員『ランパン・ランシャツ』。レーシングタイプは海外選手しか着用していけません!!という雰囲気でしたね。ハーフタイツで試合に出るのにかなり勇気が必要でした(笑)

目立ちたがり屋だった性格だったので、先輩が引退して高3になってからは派手なロングタイツ(紫+オレンジ)で練習していたことを思いだしました。

最近、特注スパイクが欲しくなり、色々調べているうちに当時の事を思い出してみました。

来年は、一足作ってみようかな ~と検討中です。

ミズノの歴史↓こちら

http://www.mizuno.co.jp/history/

開始から10日目

 

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20年間、陸上競技、いやいや運動する事から遠のいていましたが、あることをきっかけに来年のマスターズ陸上競技選手権に出場(まずは記録より出場)を目標にトレーニングを始めることとなってから10日目。

『ある事』とは私の病気である『依存症』ですが、この依存症、間違った道へ向かうと、とんでもない事になります。というか、昨年とんでもないことになりました。詳しいことは伏せておきますが。

幼少時より興味ないことには、たとえ巷で流行っている事でも興味を示さず、我が道を行く!性格。逆に一旦興味を持つとトコトン追求して周りが見えなくなる性格。いつも前向きで楽天家。その上で結果が出るまでやり続ける達成者。(良い意味でも、悪い意味でも・・)

これがやりたい!これが欲しい!と言えば、ほとんどの事で『いいよ』と言ってくれた家庭環境。あまり我慢をせず育った(わがまま)と今思うと感じます。自分自身、まさか自分が依存症とは夢にも思ってもおりませんでしたが、この1年間じっくり自分の生い立ちや性格、行動パターンや客観的メンタル分析をするとピッタリあてはまる自分がいて納得できました。

高校へ入学した時は全くの無名な陸上部員でした。県下では陸上競技や他のスポーツでも『スポーツ校』として有名な高校でした。もちろんスポーツ推薦で入学する方も多く、陸上競技部もエリート集団でした。そんな中にド素人が入部し(私)3年生の高校総体県大会では400mHで第1位をとることが出来ました。そこに至るまではジャンキーという言葉が当てはまる位、人一倍、練習を積みましたし努力したと思います。ここまではとても努力家で目標、目的に突き進む青年の様ですが・・・・・。学業は捨ててました。人付き合いも気にしておりませんでした。その他、人として欠けまくっていたと思います。この時から『依存症』の傾向はあったのだと思います。

こんな反省から『ほどほどに!』を心がけてきましたが、やはり性格上、何か真剣に取り組んでないと(仕事はあくまで仕事なのでそれ以外に)イライラして仕方ない事にも気づきました。このイライラを発散するために何かが必要で、この『何か』が重要である事にも気付きました。

そんな時に『陸上競技』を思い出しました。過去の反省を踏まえてもう一度、挑戦することにしました。ほどほどに、でも真剣に、そして結果も出したい。要は何か得た分、何か犠牲にしないようにバランスを保ちながらやり遂げたいと思っています。私流の精神的リハビリの開始です。

さすがに20年のグータラ生活の後のトレーニングは肉体的に楽ではありませんが精神的には充実している気がします。腱鞘炎が痛みますが10日間でかなり体は絞られたと思います。タバコは止めれませんが、吸いたくないと思う時間は増えました。

早く本格的にトラック練習がしたいけど、まずは基礎体力をつけて1年後に・・・。